鉄骨建築のヒミツ vol.02 鉄骨構造のタワーの歴史

19世紀に始まる近代建築により、私たちはより合理的でより快適な建築空間を味わえるようになりました。その発展には、それまでにない建築材料が大きな役割を果たしています。その代表が「鉄」です。古代からつくられていた素材ですが、産業革命を経て、しなやかで強い鉄を、大量に生産することが可能になっていきました。
鉄を構造材料とすることで新しく生まれた建物タイプが、都市を見晴らしてそびえる「タワー」です。

建築当時の技術としては規格外の建築物だったエッフェル塔。今もなお、フランス・パリのシンボルとしてそびえ立ちます。

建物の常識を覆したエッフェル塔

その始まりはエッフェル塔でした。1884年、フランス政府は革命100周年を記念してパリ万国博覧会の開催を決定します。そのモニュメントの計画に、ギュスターヴ・エッフェル(※1)のチームによる高さ300mのタワー案が選ばれたのです。

19世紀の半ばまで、世界で一番高い建物はフランスのストラスブール大聖堂で高さは142mでした。19世紀の後半になると高さ競争が世界で繰り広げられるようになり、ドイツのケルン大聖堂が157m、米国のワシントン記念塔が169mなどと、次々と記録が塗り替えられていきます。こうした塔は、石を積み重ねた「組積造」という構造方式で建てられていました。

エッフェル塔はそれまでの高さをはるかに引き離す、とてつもない記録の更新です。これを実現したのが、錬鉄の細い材を三角形をつくるようにつないでいく、「鉄骨トラス造」(※2)という構造方式でした。

ちなみにエッフェルは建築家ではなく、土木のエンジニアです。彼は1867年に自分の会社を設立して、31の鉄道高架橋、17の大型道路橋など、数多くの鉄橋を手がけていました。エッフェル塔は、鉄橋が垂直方向に立ち上がった姿とも言えます。

完成した当初、エッフェル塔はパリに住む芸術家や文化人から醜悪な建造物と非難されました。理由はその巨大さとともに、鉄の構造体の無骨さにもあったようです。しかし、骨組みそのままを表したのは、風から受ける力を減らすという合理性からでした。

エッフェル塔にはそこからの展望を楽しもうとするたくさんの観光客が訪れ、次第にパリの名所として親しまれていきます。当初は万博後20年で解体される予定でしたが、その後も存続することが決まりました。そして現在も、フランスの首都を代表するアイコンとして存在し続けています。

最上階にはエッフェルが自分のために設けた小さな部屋があります。そこでは、エッフェルが来客のトマス・エジソンをもてなした場面が、蝋人形によって再現されています。壁紙や絨毯で内装され、木製の調度品が置かれたこの部屋は、鉄骨の梁がわずかに現れていることをのぞけば、鉄骨のタワーの中にあるとは思えない応接室のような雰囲気です。

  • 1 ギュスターヴ・エッフェル
    1832~1923 フランスの技術者。パリの工芸学校で学んだ後、多数の橋梁を設計し、鉄骨構造技術のパイオニアとなる。1867年に開設した鉄骨建築研究所はルバロワ・ベレー建築協会となり、世界の鉄骨建築研究に大きく貢献した。
  • 2 鉄骨トラス造
    鉄骨の部材を三角形につなぎ合わせた構造形式。外部からの力に強い三角形の特性を利用することで強度を増し、大空間構造や長い橋梁などに用いられることが多い。

材料の進化を活かした東京タワー

エッフェル塔の高さ記録をさらに破ったのが東京タワーでした。東京の各テレビ・ラジオ局の電波を集約して発信する集約電波塔として、1958年(昭和33)に竣工したもので、高さは333mです。東京という都市を象徴するであるばかりでなく、日本の高度経済成長を象徴するイメージともなりました。

東京タワーにも展望台が設けられました。開業当初は高さ150mの大展望台(メインデッキ)だけでしたが、1967年には高さ250mの特別展望台(トップデッキ)も完成。年間300万人が訪れる人気の観光スポットとなっています。

高所に展望台をつくることができたのは、鉄骨造という軽い構造物だからです。重いものが上部に付くと、地震の際に大きな力を受けることになってしまいます。それに耐えるために下部の構造はさらに重厚に造らなければならなくなり、経済的にも不利になってしまいます。

構造方式はエッフェル塔と基本的に同じです。しかし、材料が錬鉄から軟鋼へと進化し、設計も合理性を極めることにより、使われた材の重量はおよそ半分で済みました。

設計したのは早稲田大学の教授だった内藤多仲(※3)です。内藤は東京タワー以外にも、名古屋テレビ塔(1954年・180m)、大阪の2代目通天閣(1956年・103m)、別府タワー(1957年・100m)、札幌テレビ塔(1957年・147m)、博多ポートタワー(1964年・90m)などを設計し、「塔博士」とも呼ばれました。これらの塔は、いずれも鉄骨トラス構造です。

3 内藤多仲
1886~1970 日本を代表する建築構造技術者。東京帝国大学を卒業後、渡米して耐震構造理論を学び、数多くの建築の構造設計を務めた。戦後は特にタワーの構造設計をたくさん手がけ、「塔博士」とも呼ばれている。

➀札幌テレビ塔

➁東京タワー

➂名古屋テレビ塔

➃通天閣

➄博多ポートタワー

⑥別府タワー

さまざまなデザインのタワー

日本にはその後も数多くのタワーが建設されています。その中には、鉄を用いた構造でありながらも、少し変わったデザインのものがあります。例えば神戸ポートタワー(1963年・108m)は、真っ直ぐに伸びた鋼管を並べることで鼓のような美しい曲面形状をつくり上げました。京都タワー(1964年・131m)は、鋼板モノコック構造(*4)で、1本の巨大な中空パイプが構造となっています。

1980年代以降は、鉄骨造の骨組をガラスが覆うタイプのタワーが登場します。千葉ポートタワー(1986年・125m)や福岡タワー(1989年・234m)がこれに当たります。ガラス張りのタワーは、主に海辺で建てられました。潮風による害から建物を守るための工夫です。

4 鋼板モノコック構造
モノコックと呼ばれる特殊な鋼鈑をつなぎ合わせる構造。主に飛行機や船などで使われ、タワーのような円筒形の塔状建築物で使用されるのは京都タワーが初めてだった。

➀千葉ポートタワー

➁京都タワー

➂神戸ポートタワー

高さ+制振技術の東京スカイツリー

そして東京タワーの高さをさらに大幅に更新するものとして、高さ634mの東京スカイツリー(2012年)が完成します。これも鉄を主構造にしていますが、これに制振技術を組み合わせました。タワーの中心を通る鉄筋コンクリート造の避難階段室を、振り子の錘(おもり)のように揺らすことで、塔の揺れを打ち消すという仕組みです。

このように、高さの限界に挑むタワーの歴史には、常に鉄骨造の構造方式が付き添って進んできました。

磯 達雄(建築ジャーナリスト)

1963年埼玉県生まれ。名古屋大学工学部建築学科卒業。日経BP社で「日経アーキテクチュア」誌の編集部に勤務。退社後は編集事務所フリックスタジオを共同主宰。専門誌から一般誌、webまで幅広い読者層の媒体にて建築に関するさまざまな記事を執筆。主な著書に『昭和モダン建築巡礼』『ポストモダン建築巡礼』『菊竹清訓巡礼』『プレモダン建築巡礼』など。桑沢デザイン研究所・武蔵野美術大学非常勤講師。

深化する積水ハウスの鉄骨構造

日本の、また世界の鉄骨建築が様々な進化を遂げたように、1960年からスタートした積水ハウスの鉄骨住宅も常に革新を求めて成長してきました。イズ・ロイエ ファミリースイートにも採用されている「ダイナミックフレーム・システム」も、ノウハウの蓄積と最新のテクノロジーを集結させた新構法なのです。

よりフレキシブル、よりダイナミックに。

「ダイナミックフレーム・システム」についてはこちら

ISシリーズについて

強く美しい外壁材「ダインコンクリート」に包まれた邸宅「イズシリーズ」。 自分らしく、わが家らしく豊かな暮らしが多彩に広がります。

「IS」の由来
「IS」とは英語のbe動詞で、「存在」を表現する言葉。
同時に、鉄骨軸組工法を統合した究極のシステム「Integrated System」と なるようにとの願いをこめて作られました。