上町台地とともに
悠久の時を刻んできた
玉造稲荷神社から歴史を紐解く。
歴史に磨かれ、育まれてきた
暮らす都心にふさわしい上町台地、玉造。
上町台地は私たち積水ハウスにとって大切な場所。
理想の住まいを求めて、
幾つもの「グランドメゾン」を創造してきました。
ここ玉造も、古より人々が暮らしを営み、
悠久の時に磨かれてきた街。
都心ならではの便利さと静けさ、
自然の恵みと生活文化が脈々と息づく住環境は、
暮らしの理想を叶えるにふさわしい場所といえます。
そんなこの地の魅力を求めて、上町台地の要衝として
歴史を刻んできた玉造稲荷神社を訪ねました。
(取材協力:玉造稲荷神社)
古より時を積み重ねてきた
日本の中心。
※出典参考:大阪千年都市[まちづくり物語]財団法人 大阪市都市工学情報センター発行
6~7世紀ころの摂津・河内・和泉の景観を参照[出典:地形からみた歴史~古代景観を復元する~日下雅義著]
玉造の発祥は、
遥か古墳時代まで遡る。
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「玉作岡」碑
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難波・玉造資料館
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大名・武家屋敷、
御伽衆が居宅とした惣構。
※旧玉造町:玉造一丁目、玉造二丁目、玉造本町、玉造元町。
豊臣時代の大阪城(製作:玉造稲荷神社)
徳川家は大阪再興を願って
船場を向いた。
摂津名所図会 豊津稲荷社(現:玉造稲荷神社)
玉造一丁目界隈は、
きれいな湧き水に育まれた清らかな地。
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現在の社殿は戦後に再建されたもの。境内には秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などのほか、難波玉造資料館もあり、古代土器など貴重な資料が展示されている。
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伏見橋旧跡 (徒歩2分/約160m) Historic Site of Fushimi Bridge
猫間川に流れ込む支流に架かっていた伏見橋。江戸時代から明治の終わり頃まで、この「井路(人工水路)」を利用し、猫間川まで荷物の運送を行っていたと言われている。
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越中井 (徒歩9分/約690m) Ecchui Well
細川忠興は、利休七哲(千利休の優れた弟子)の一人で、越中井はその邸内にあったといわれている井戸。屋敷は焼失したが井戸は焼け残り、今も市民の手で大切に保存されている。
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三光神社 (徒歩7分/約510m) Sanko Shrine
真田幸村が大阪城までの抜け道と言われる地下道があることで知られる。境内をはじめ宰相山公園は桜の名所として毎年春は花見客で賑わう。
- ※「大坂」の地名表記は、明治時代に「大阪」と統一されましたので、本文では史実名を除いて「大阪」と表記しています。
- ※掲載の距離・徒歩分数は、地図上を計測し80m=1分として計算したものです。
- ※掲載の環境写真は、2024年10月・2025年3月に撮影したものです。