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煮えた野菜が味噌を待つ。―甲州醸造味噌―暮れかけた山のふもとに、ひとつ、ふたつ、みっつ。ともりはじめた灯りから温かな湯気が立ち上り、夕闇に吸い込まれる。それは夕餉の支度の時間。そこには、きっと味噌がある。

味噌は、郷土色豊かな食べもの。昔から味噌づくりの盛んな山梨には、甲州味噌の織りなす物語がありました
韮崎 味噌はもともとは家庭でつくる“手前味噌”―井筒味噌店主・山寺英一郎
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 味噌は“手前味噌”という言葉があるくらい、昔からそれぞれのご家庭でつくられたものでした。だからうちでも、麹だけ販売したり、お好みの熟成期間で食べていただける半製品もつくっているんですよ。
 味噌は、大豆に米麹や麦麹、塩を加えて発酵させたもの。この麹づくりが味噌づくりの要なんです。うちでは麹の仕込みは、家族と従業員総出で行います。できあがった米麹は、風通しがいいところに置いておきます。生きた麹は発酵し続けて熱を持ってきますからね。味噌の仕込みは、まず蒸した大豆を冷やして攪拌し麹と混ぜます。うちの場合、米麹味噌は大豆1に対して米麹を2、調合味噌と呼ばれる甲州味噌の場合には大豆1に対して米麹と麦麹を合わせて1入れます。昔ながらのやり方は、これを千五百貫(約6000kg)入る大樽に仕込みます。常温で熟成するまで10ヶ月。窓から日が差すところに置かれている樽は熟成が早い。均一になりにくいところは、かえって自然がつくり出す面白さがあります。
 山梨では味噌づくりをするご家庭は特に多いようですね。味噌は、麹さえ買えば、あとは家族みんなで楽しみながらつくれる食品なんですよ。

“ほうとう”と“味噌なめ地蔵”
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 野菜と太い麺を味噌で煮込んだ鍋料理『ほうとう』は、武田信玄の考案か?ということは、郷土史研究者たちの間でもいろんな説が飛び交っています。ただ私は、信玄よりずっと以前からあったと思ってるんですよ。小麦粉の常食として“すいとん”のようなものが大昔からあったようですから、信玄も戦に米を持っていくより、小麦粉の方が便利だから目をつけたんじゃないかな。『つくりやすい』『手に入れやすい』『腹持ちがいい』そんなことで陣中で食べていたのでしょうね。私の体験から言うと、戦時中、日本軍では米を飯ごうに入れて炊いてたんだけど、これは戦闘の場では非常にマイナスでした。火が出る・煙が立つ・面倒。我々には、どうも米飯を食わなければチカラが出ないなんていう、ひとつの信仰がありましたからね。戦後の物資が不足した頃に一時、家庭での味噌づくりが盛んになりましたが、それは地方では大豆があってつくりやすかったから。味噌は塩と大豆があればつくれる栄養価の高い食品だから、みんながつくった。その頃は塩が貴重でした。戦中戦後に一番大事だったのは、やはり塩・砂糖・醤油・味噌ですよ。
 味噌が貴重なものだったということは、このあたりに残っている“味噌なめ地蔵”という風習からもうかがえます。カラダの具合が悪いところがあると、味噌なめ地蔵と呼ばれるお地蔵さんの自分の悪いところと同じ部分に味噌を塗り、症状を和らげてもらえるよう祈ったんです。この近くの穴観音の味噌なめ地蔵には、私も5歳くらいの時、歯が痛くて拝みにいったことがある。その頃は大人もみんなご利益があると本気で信じていましたね。
井筒味噌先代店主、山寺仁太郎)
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