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江戸風鈴 篠原儀治(しのはら よしはる)売り声も無くて買い手の数あるは音に知られた風鈴の徳

 『風鈴は他の品物のように売り声を上げなくても、風鈴の音色が売り声代わりとなって飛ぶように売れる』と江戸時代に狂歌で詠まれた「江戸風鈴」。

江戸から続くガラス風鈴伝統の良さを守り抜く

写真 夏の暑さの中、ガラスが奏でる清涼な音。ガラス風鈴は見た目にも涼しい夏の風物詩です。
 「ガラス風鈴を『江戸風鈴』と名付けたのは実は私です。最初は東京風鈴だったんですが、江戸時代から続くガラス職人の技術の結晶だってことと、東京で手作りの風鈴はウチだけになったこともありましてね、江戸から続く東京の風鈴ならば、『江戸風鈴』でいいじゃないかと、1964年(昭和39年)から、この名前にしました」
 篠原風鈴本舗は、親子三代・家族でガラス製の風鈴をつくる工房。二代目の篠原儀治さんは82歳。現役の風鈴職人です。
 「人間がやることですから大量生産はききません。まあ、一日にできる風鈴が300個から500個。年間300日は働きますから、だいたい年に12万個。絵付けももちろん手作業です」
 篠原さんは江戸川区無形文化財に認定されているほか、伝統工芸では3人目の名誉都民の称号を受けています。「結果としては、風鈴専業で来たことがよかったんでしょう。“手作り”の風鈴の良さを知って欲しくて、いろいろ工夫してきただけなんですけどね」
 40年ほど前には「騒音公害」だとやり玉に上げられたこともあった風鈴。
 「うるさいと言われて黙っているのはシャクだから、その風鈴を耳の下にぶら下げてやろうと『風鈴イヤリング』というのをつくったら、結構な反響があってね。いまでも注文があれば作ってますよ」
 伝統を受け継ぎ、その良さを守り抜いたからこそ、今があるのだと言えるのでしょう。

答えはお客さんに聞く職人の技術はそこで必要になる

写真 ガラス風鈴は「宙吹き(ちゅうぶき)」という技術で、職人がガラスの塊をふくらませていきます。
 「とにかく息の吹き方で決まります。すーっと細く長く吹くんです。途中で息を止めたり、強く吹いたりして…。このイメージを身体で覚えるのが大変。三十年はかかります」
 良い音のする風鈴は、ガラスの薄さが均一ではなく、鳴り口の部分が手作り独特のギザギザが残っているかどうかで決まります。
 「私の親父のころは、全部同じ音がするように作るものだったのですが、お客さんの好みはいろいろだから、一つひとつ違う音がいいと考えました。風鈴の絵柄も昔は、真っ赤な色に縁起の良い柄を描いていたけど、透明な風鈴に朝顔や金魚を描いたり。最近は変わり風鈴も人気があってね。風水ブームで黄色の招き猫を描いた風鈴を作ったり。それと、軒に掛けずに机の上で楽しんじゃどうかと思いまして風鈴を掛ける『卓上台』を作りました」
 篠原さんは常に風鈴のことを考え、工夫を施してきました。その発想はどこから?
 「いつだってお客さんが教えてくれる。風鈴を見てお客さんが口にしたことを忘れずに形にしてみるんだ。言われたことを素直に聞いて品物にしてみる。もちろんそこには職人の技術がなきゃいけない。その繰り返しだね!」

好奇心が発想を広げる伝統は「新しく」の積み重ね

写真 江戸時代に旗本の御家人が内職で作り始めた風鈴が受け継がれて、篠原さんの父・又平さんで4代目。その又平さんが独立し篠原風鈴本舗を創業したのが大正4年のこと。跡継ぎ難が叫ばれる伝統工芸の世界ですが、篠原風鈴本舗は安泰のようです。
 「息子の長女が跡を継ぎたいと言ってくれましてね。4代目になってくれそうです」
 笑顔で語る篠原さんに、職人の心得を伺いました。
 「私は、職人になるんでも勉強は必要だよと言ってます。いろいろな経験がないと、技術を商品に結びつけられない。職人は仕事にはガンコでなきゃいけませんけど、それ以外では柔軟じゃなくちゃいけないんです。世の中を知って、時代の変化に技術を合わせていかないと。私もいつもお客さんの声を聴いて、それに助けられて今まで来ました。伝統を受け継いで行くには常に新しいことをしていかないといけないんです。私は、今年83になりますけど、常にアンテナを張って勉強してますよ。職人は好奇心を持ち続けるのが大事なんです」