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鳳蘭 Ran Ohtori 本名・荘田蘭(しょうだ・らん)兵庫県生まれ。中華同文学校卒業、1964年宝塚家劇団に入団し、『花のふるさと物語』で初舞台を踏む。ツレちゃんの愛称で親しまれ、10年間星組の男役トップスターを努めたのち、79年に退団。その後はミュージカルを中心に舞台で活躍を続けている。82年、96年に菊田一夫賞を、87年に芸術祭賞を受賞している。2005年秋、紫綬褒章を受賞した。 「この広い海のような心を持ちなさい」 人々を夢と笑顔の世界へと誘ってくれるミュージカルスター、鳳蘭さん。2005年秋「紫綬褒章」を受章されました。その笑顔の源は、子どもの頃にみた景色と暮らしの中で培われたそうです。

「キリスト蘭」と「お不動様」

 私の父は、本当にガンコな人でして、学校が終わったらまっすぐ家に帰ってとにかく家にいなきゃいけない。外食は年に一回、クリスマスだけ。それも神戸の街に出て豚まんを食べるだけです。
 我が家は、瀬戸内海が見下ろせるジェームス山(現在の神戸市垂水区)にありました。小学校5、6年生の頃のある日、その山から海を見ていると、母が言いました。『この広い海のような心をもちなさい』と。それから何かあったときはいつでもその海を思い浮かべて、「大きく考えよう!」と思うんです。
写真 大陸的でおおらかだと言われますが、それは私の心の中に、いつもあの情景があるからだと思います。
 実は私が生まれる直前に我が家が台風で流されて、私はジェームス山にあった外国人の家の馬小屋で生まれたんですよ。キリストみたいでしょ。だからタカラヅカの頃、私「キリスト蘭」って呼ばれていたの(笑)。
 そのジェームス山には「岩船不動」という小さなお不動さんがあって、いつもいろんなお願い事をしていたんです。タカラヅカの悩みで相談した時、お不動さんの石の数珠が光ってビックリ!そして驚くことに次の日にその願いが叶ったんです。

偶然の出会い「タカラヅカ」

写真 宝塚音楽学校は友達につられて受けたんです。私は他の方みたいに入学に向けて習い事などしていなかったので、入学直後は大変。同級生には、それこそ日本舞踊のお名取りさんもいるのに、私は生まれて初めての着物。ピアノでショパンを弾く人がいるのに、私は鍵盤の「ド」もわからない。だから成績はずっとビリでした。でも実力がない分、必死になって練習しました。
 ただ「キリスト蘭」の唯一の自慢は、みんなでゼロから一緒に習い始めたものは、全部一番だったってこと。タップダンスとかバトンでは一番だったんです。でも、あとはビリ(笑)。

これからも舞台一筋

写真 タカラヅカを退団した頃から日本でもミュージカルが注目され始めました。タカラヅカとは別の世界だけど、「私でも出来るのかなぁ」と思っていたら次々とお仕事のお話をいただくようになり、一気に忙しくなりました。
 もちろん、女優という肩書きになったからには、漠然とテレビにも出たい、映画にも出たいと思っていた時期もありましたよ。だけど、ミュージカルのお仕事だけが来た。そしてただ一生懸命やってきた。それが「紫綬褒章」をいただくことになったのだと思います。「人間万事塞翁が馬」という、私が一番好きな言葉が、私の一番うれしい賞につながったんだと、今は思っています。
 でも賞をいただいたからと言って、頂点を極めたとは思っていません。まだまだ学ぶことはいっぱいあります。でも、これからも舞台一筋、それには、もう迷いはありません。
 今後は、日本の子ども達がミュージカルを好きだと言って、もっと興味を持ってくれるようなミュージカル界を目指して、日夜努力をしなければならないと思っています。