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大鵬幸喜 Koki Taiho 本名・納屋幸喜(なやこうき)。昭和15年樺太生まれ。16歳で相撲界に入門。昭和31年初土俵。34年十両入りして大鵬と名乗り、35年新入幕。36年名古屋場所に優勝し、当時史上最年少で第48代横綱となる。同時期の横綱粕戸とともに「粕鵬時代」を築き、46年の夏場所で引退するまで、32回の優勝(史上最多)、45連勝(史上3位)など数々の名記録を残す。

樺太から稚内への引き揚げ

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 私は昭和15年に南樺太の敷香(しすか)という地で生まれ、ちょうど5才の終戦の年、母親のふるさとだった北海道に引き揚げてきました。
 昭和20年、終戦も間近、参戦したソ連軍が樺太の日本領に侵入。敷香はあっという間に占領されました。国境を南下しソ連軍はどんどん迫ってくる。母と兄、姉、そして私の4人は、北海道に向かう船に何とか乗り込みました。
 宗谷海峡を渡り、やっとのことで到着した稚内港。私たちは小樽まで乗るつもりでしたが、船酔いですっかりまいってしまい、ここで下船することにしたのです。
 しかしこの選択が運命を決定付けました。他の船は攻撃を受け稚内に着く前に大破。私たちが乗った船も稚内を出港後、小樽へ向かう途中に攻撃され沈没してしまったのです。その時から、なにか運命が決められていたのでしょうね。
 だから私の原点は稚内にあり、ここからすべてがはじまっていると感じています。海峡を挟んで樺太まではわずか43キロ。樺太は父親と母親が出会い私が生まれた場所。終戦の2年前、ソ連から白系ロシア人の父には集団移住の命が下り、それ以後離れ離れです。

偶然に出会った相撲の世界

写真 北海道に来てからは、積丹(しゃこたん)半島の付け根にある岩内、訓子府(くんねっぷ)、岩尾別(いわおべつ)、夕張そして弟子屈(てしかが)の川湯温泉へと移り住みました。人生最大の転機となる相撲との出会いは、弟子屈高校の定時制に通っていた16歳の時でした。昼間は営林署で仕事。昼休みにはよく相撲をとっていました。
 そんなある時、巡業中の千代ノ山と栃光を見かけました。初めて見る本物のお相撲さんに感動していたのですが、この頃、偶然にも後に入門する二所ノ関部屋から誘いがあったんです。母も伯父も大反対。ところが一門の巡業が、以前住んでいた訓子府であるとのことで、それならと伯父と一緒に出かけました。今思えばこれも縁だったのかもしれません。その時はちゃんこをご馳走になって、お代わりまでしてしまって(笑)。結局、伯父は「おまえ、このままここに残れ」といって、いつのまにか帰ってしまったんです。

丸い土俵に埋まっているモノ

写真 私は、弟子たちに「人間は死ぬまで努力、自分との戦いだよ!」と常に厳しく言ってきました。相撲はひたすら稽古あるのみで、基本をコツコツ繰り返すことによって精神も肉体も鍛えられます。
 以前、師匠に「丸い土俵の下には何でも埋まってるんだぞ。金も名誉も、欲しいものは自分の手で掘り起こせ!」と言われたことがあります。それは一生懸命努力をすれば答えは必ず返ってくるということ、また、土俵はさまざまな人との出会いをもたらしてくれるということなんです。
 引退後、青年会議所のボランティアでわんぱく相撲を普及する活動に参加しています。相撲は礼ではじまり礼で終わる。元気な声とともに、はだかで土と戯れる楽しさを子どもたちに感じて欲しい。そして、かつて私がそうであったように人生の原点、新しいことに挑戦できる何かのきっかけになればいいと思っています。