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波乃久里子/Kuriko Namino 本名:波野久里子。1945年、神奈川県鎌倉市生まれ。3歳の時、歌舞伎座にて初舞台。17歳で劇団新派に入団。二代目水谷八重子とともに新派を代表する女優として活躍する。平成3年『大つごもり』『遊女夕霧』で菊田一夫演劇賞を受賞。著書に『鯛女のお姉ちゃん』(ザ・マサダ刊)がある。

私の心を決めた旅。十七歳で見たロシア。

 私たち役者の仕事は、巡業で年じゅう旅をしているようなもの。これまでそうした旅先では、あまり「観光」っていうものをしなかったんです。どこの町に行っても劇場と宿の往復ばかり。
 それが、今ごろになって急に、いろいろな所を観てまわるのが好きになってきて。去年、岡山では嬉しい再会――と言ってはおかしいのかしら――「倉敷チボリ公園」に感激しました。チボリ公園、まぁ懐かしい!って。

写真

勘九郎さんがパリの写真に激怒?

 あれは弟(歌舞伎役者の中村勘九郎さん)が小学校へあがるかどうかの年齢でしたから、私が十六か十七歳。ちょうど父(故・中村勘三郎さん)と弟の「親子コンビ」が話題になっていて、ある雑誌社が、私たち家族をヨーロッパへ招待してくださったのです。
 その旅の途中で、コペンハーゲンのチボリ公園にも立ち寄っていたのです。まるで夢のように素晴らしい場所で、その時の思い出が、倉敷のチボリ公園でふわあっと目の前に甦ったんです。思わず私、姿勢を低くして歩いていました。子どもの目線で、風景を見たくなったのね。
 他にも思い出に残っているのは、パリのエッフェル塔。まだ小さかった弟を寝かしつけて、みんなで夜中に遊びに出かけたんですが、後からその時の写真を見て、弟のまあ怒ったこと(笑)。「なんで僕だけいないんだ!」って。勘九郎の負けず嫌いは、その頃から変わりませんね。

写真父(故・中村勘三郎さん)と楽屋でのひととき。

写真新派公演「紙屋治兵衛」のシーン。中村鴈治郎氏(現在人間国宝)と共演。

写真波乃さんが母の久枝さんから受け継いだ、思い出の店『藪蕎麦』。住所:東京都千代田区内幸町2−2−2 富国生命ビルB2F

もう一度たどってみたい、シベリア鉄道の旅

<写真 なんといっても、私にとって忘れられない旅の思い出は十七歳で行ったロシア。まだソビエト連邦と呼ばれていたころのお話です。ソ連の演劇事情の視察で、初代の水谷八重子先生(新派)の代理として参加することになったのです。
 横浜から船でナホトカへ、そこからシベリア鉄道でモスクワまで。初めて見た赤の広場やクレムリン宮殿の壮大さは心に深く刻まれています。
 そして劇場や演劇大学などまわってお芝居を見ました。そのとき、一つの演劇に半年も一年も時間をかけると聞いて感動してしまって。歌舞伎や新派なんて、新作以外は二、三日程度。そんな作り方は「古くさい!」、三味線だ郭(くるわ)の話だなんて「低俗だわ!」って、まあいわば、ソ連の文化国家にかぶれちゃったわけです(笑)。
 でも、帰国してすぐに歌舞伎座の舞台で水谷八重子先生の『出雲の阿国』を見たとたん、またころっと(笑)。ああもう、この人しかいない。この人に一生ついて行こうって。
 その心が定まったという意味で、ロシアへ行ったことはとても良かったと思うんです。だからあの旅の景色は、自分の心の故郷のようなもの。できればもう一度、シベリア鉄道でモスクワまでまったく同じルートで旅がしてみたいと思っているんですよ。

そして心の原風景は日比谷の「蕎麦処」

写真 今日来ていただいた『藪蕎麦』。父はお蕎麦が大好きで、それもあって母はこの店を開いたと聞いています。父が注文するのは、いつも決まって「おかめそば」。美味しそうに食べていた姿が今も目に浮かびます。
 そして「いらっしゃいませ」という母のあの声と、白い割烹着姿。このお店を軌道に乗せるために寝ずに働いた母は、それがもとで病気になって…。そんな切ない思い出のある、ここもまた、私にとっては大切な心のよりどころなのです。

※2005年11月16日のインタビューです。