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あど挨拶う心 狂言に学ぶ挨拶の効用

「狂言には、漢字で『挨拶』と書く役柄があるんです。これは『アド』と読みまして、お能でいう『ワキ』を指すんですね」
 鎌倉時代から江戸時代初期に使われていた「挨拶(あど)う」という言葉が語源といわれます。「『挨拶う』には、相手の態度や言葉に調子をあわせる、もてなすという意味があります。つまり主役であるシテの演技を受け、お芝居を面白くする大切な役割を担っているのです」
アドがいるからこそ、芝居が生き生きと進み出します。
「さらに言うなら『挨拶う』は双方向のコミュニケーションなのです。相手の反応に合わせて言葉や行動を選ぶ。けれども最近は、この気持ちが失われている気がします」
 一方通行では、ささいな行き違いが起こることもあります。
「相手を思い遣る“あどう”心は、要らぬ争いを避けようという平和主義。日本人が育んできた、すばらしい生活の知恵だと思いませんか」

むこ聟としゅうと舅がニワトリを真似て築いた良い関係

写真 そんな日本人ならではの知恵があらわれている、『鶏聟(にわとりむこ)』という狂言があります。
 お嫁さんの実家に初めて挨拶に行き、聟入(むこいり)の儀式をする話ですが、そこには難しい作法がありました。
「シテである花聟はその作法を習いに行くのですが、『初対面の挨拶に闘鶏の真似をしろ』というデタラメを吹き込まれてしまうのです」
 真っ正直な花聟は、『アド』である舅の目の前で羽ばたきをしながら「コキャーコーコー」と叫びます。
「普通なら『バカな男だ』となりますが、狂言では、お舅さんは『正直者の聟どののことだから、きっと誰かにからかわれたのだろう。私も同じようにしてやれば、彼も恥をかかずに済む』と、二人で闘鶏の真似を始めるのです」
 なんとそれが結末。舅の、相手を立てて良い関係を結ぼうととった行動は、まさに“あどう”心そのものなのですね。

型通りの挨拶が実はいちばん自然

写真 挨拶はコミュニケーションの潤滑油。でも、たとえば引っ越しの挨拶のような「型通り」の挨拶はだんだんされなくなってきました。
「『挨拶』というのは、たいへん便利なものなんですよ。そもそも『型通りにする』こと自体、効率的で自然なことなのです」
 と意外なことをおっしゃる千之丞さん。
「『型』というのは、あることを表現するために長い年月をかけて無駄な部分が削ぎ落とされていった究極の形なのですから」
 「型通り」を引っ越しの挨拶にあてはめると、訪問して「初めまして○○と申します。小さな子がいますので、おうるさいかもしれませんが、よろしくお願いします」とするのが狂言流。
「最初に『型通り』に済ませておけば、関係もスムース。『型』というのは、このように便利で楽な、これもまた先人の知恵といえるでしょう」

 お互いを思いやり、コミュニケーションを楽しもうとする“あどう”心。
「そこに狂言のような『笑い』が加わると、さらにいいですね。狂言の笑いは平和の笑い。みんなでわっと笑って、めでたし、めでたし。そんな会話を、マンション暮らしのなかにも育んでいただけたらと思います」

写真プロフィール
茂山千之丞 しげやま・せんのじょう
1923生まれ。
著書に「狂言じゃ、狂言じゃ」
「狂言役者−ひねくれ半代記」等